アラサー脱ヒキ日記

メンタル薄弱日記。嫌いな社会化を目指す。

酒を飲んで寝て

私はアルコールを美味しいとあまり思わないのだが、中には20代にも関わらず仕事から戻ったらすぐに酒を開けて愚痴って寝るという人もいる。

 

ここも大都会とはいえないし、娯楽も限られるかもしれない。

幼いころは身の回りのものがなんだって娯楽になり得た。

精神年齢が幼かった私は20代中盤までゲームに夢中になっていたから、飲む買う打つ的なものとは無縁だった。

 

ゲームだって30代なのに節操無くハマっている人は沢山いる。

彼らはゲームを楽しめる才能があると思う。

 

何かにハマって続けられる人を観察するに連れて、虚しい気持ちになるし不安な気持ちにもなる。自分にとっての生活のあり方とはなんなのだろうか、と。

 

タバコ、酒といった嗜好品はやらない。

酒もたまにワインを買ってきてほろよいになるまで飲む程度だ。

一見健康的な生活に見えるかもしれないが、個人的には自滅的な生活をしたいという願望が強い。正直、普通の生活とかどうだっていいとすら思う。

仕事とかだってどうだっていい。結局の所、自分には目標とかやり甲斐とか、自分に対する肯定的な考え方や人生に対するポジティブな価値観が全くないのだと気づく。

 

そういった時にふと周りを見渡してみると、案外みなそうなのではないだろうか、と思うこともある。でも、周りのみなは私以上にはエネルギッシュに人生を過ごしているように思えるのである。

今を生きる

ここ十数年の自分を思い返してみる。

ひきこもりとニートを繰り返していた10年間にあまり意味がなかったと思うのと同時に、脱ヒキしようと思い始めてからのこの4年間で大きな変化を遂げた、と思う。

 

何が違ったのだろうか?

 

それは多分自分を保護していた小さな殻を破ることに成功したからだ。

殻を破る勇気を持って外の世界を見渡すようになってはっきりとわかったことがある。

自分の人生を形作るのは紛れも無く自分自身だということだ。

 

傍目にはさほど変化がないように映る私かもしれないが、その経験の濃さで表せば10年前の自分とは別物だと思う。

受け身で楽な選択をし続けていた10年間と、痛みを伴うが成長を見込める選択をするよう心がけた4年間では、その成長の「度合い」に大きな隔たりがあったからだ。

 

人の目をみて話せるようになった。

自分の意見を言葉にして伝えられるようになった。

用事があればすぐに電話をかけられるようになった。

事前準備の重要さを認識するようになった。

個性的な人物と積極的に関わることで人を見る目が養われた。

 

これら上記のことが一つでも苦でなくなれば色々と捗るだろう。

苦手意識の克服により自信をもてるようになるからだ。

 

よく人が言う「お前が思うほど誰もお前のことを気にしていない」という定型句の本当の意味合いがわかるようになってくる。

 

一人で戦う時間の必要性を否定するつもりはないが、

他者を排斥し過ぎる時間が長いと、相当な意識改革の為の痛みに耐えなければいけないということを知っておいて欲しいと思う。

私はそれなりに空気も読める人間だと思うし、まあ頭も人並みだろう。人の気持ちになって考えるといういわゆる感情指数は高めだと思うが、知能指数は人並み以下だと思うこともある。

自分には元来の「世渡り力」みたいなものがあったのかもしれない、と思うこともあるがみながそうではない。

 

今を生きることの大切さを考えながら生活してみて欲しい。

ああ過食

胃が痛くなっても食べ続けて、

それも夜中に食べまくって、すぐ寝て、

そんな生活一週間?くらい続けてたけど

 

だいたい6kg太ったわ。

いやぁ人間ってすぐ太るなー。

俺太りやすい体質だとは思うけど、ちょっと後悔。

 

後悔したはいいけど、中々止まらない。

なんか吹っ切れちゃってあと少し位ならいいかな、みたいな。

 

胃が膨らんでるのかしらんけど、

ダイエット中だったら食べれなかった量が簡単に入る。

 

この調子だと1ヶ月以内に10kgくらい太るかもな(´・ω・`)

鬱の人ってどう自己を保っているのか

適当なタイトルだなぁと思いつつノリで作成。

自分は鬱とか躁鬱とか気分変調症とか、社会不安障害とか対人恐怖とか視線恐怖とか、そういったたぐいのものは全部持ってます。

 

で、そういうネーミングってのは案外主観的なものであって、医者がそうだといえばそうだしアメリカのマニュアルの条件に相当あるいは抵触すると思われれば自称しても構わないと思う。

 

医者に言われた、処方箋が出た、という方が説得力があるというだけの話である。

 

意欲が奪われて、自己肯定感や空虚感が生活リズムを徐々に狂わせるようになる。

そんな中で悪循環に陥り、自暴自棄になるパターンが多い。過眠、過食、自傷行為、誰かに相談しないと気がすまないなど。

 

こうなってくると健全な日常生活から離れていかざるをえない。

処方箋だけを当てにしながら自力で生活を続けている人はタフネスだとは思うが、それが鬱やその他の精神的な重石を取り除く要因にはならないと思う。

 

私は自己分析と内省を徹底し、他者を介在させない方法でこのことの解決を図ろうとしてきたが、それはあまり効果的ではないと思うようになった。

人間の脳というものは相対的に誰かと交信することで活性化もするし、負の感情に覆われて意気消沈もする。そういう刺激に身を晒す方が脳には良い、と感じる。

自己分析は「自分があそこでこうしていればよかった」「あれは自分が悪かった」等と考えがちで、そういった思考法は一時的に自己を納得させはするが、それを否定される事態に陥った時に柔軟性を発揮しない。

 

そういった内省し過ぎ、における負のスパイラルに陥ると脳がそういった一連のパターンを繰り返すようになり、非常に有害である。

シンプルに、悩んだらうまいものを食いに行く、とか、嫌な人とか行きたくないと思うところにいって予定をこなすとかに力を向けたほうがいいかもしれない。

降雪

一気に寒くなった。

朝、外に出るのが憂鬱である。

 

冬の日差しや肌寒さを感じると、

妙に懐かしいような気持になる。

 

来年で30歳。

私はどうなってしまうのかと考えた。

 

身をおく環境で人生が決まるのだ、と思った。

これからは身をおく環境を意識しなければいけない、とも思った。

 

しかし...

どこに舵を取ればいいかが相変わらずわからない。

こうだったら、ああだったらということは考えるが、

それもできるわけでもなく、現状に満足するわけでもなく。

 

ただこのままタコツボにハマっていたくないとは思う。

お金というもの

「お金」をどう捉えている人が多いだろうか?

私は常日頃お金持ちになりたい、お金持ちだったならば等と考えている。

 

実際に億のキャッシュを持ち、不動産収入で悠々自適に生活している人を知っている。彼は幸福であるようには見えないが、将来の不安や余裕の無さみたいなものとはやはり無縁の生活をしている。

 

巷ではお金にどう向き合う人がいるのだろうかと思い、書店を覗いてみた。

ランキングコーナーとか新刊コーナーにそれっぽいのが結構並んでる。

いつの時代もお金にまつわる書籍というのは人気が有るのだなと思った。

 

パラパラと読んだのは以下の本達

「億男」

「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」

「金持ち父さん、貧乏父さん」

「株は再び急騰、国債は暴落へ」

 

「億男」は俗な私でもスッと軽く読める内容の本だったように思うが、他の本は「投資」という概念を持つ人々を前提に書かれているように思った。

私の知り合いに楽して金を儲けたいと考える人達が一定数いる。私だって楽してお金を儲けられたら仕事なんて辞めてやる!って思うに違いない。

 

でも...そういう人たちの金儲けの道程とその一つの結末をみているとそううまい話はないのだなとつくづく思うのである。生まれつきお金持ちという人や、親がすごかった人などは苦労せずにそれなりの金を持っているが、自分で、となると簡単ではないのだ。

 

書店にならんでいたお金の本は「投資」でお金を「賢く」増やす、といったような内容のものだった。その為にお金とはなんぞやと問いかけ、賢い投資とはどういうものか、といった事をアプローチするものだ。

 

ある程度の経済、投資の知識がある人間ではなければ読んでも仕方がないものもあるし、「金持ち父さん、貧乏父さん」のように小説感覚で読めるお金の本もある。この本は一部で絶賛されているようだが、その理由がわかった気がした。

ただ当時9歳だったという著者の視点で語られる割には主人公が賢すぎるし、そんなに具体的にセリフを覚えているものだろうか、などと考えて読んでいたら何か冷めた視点になってしまった。

 

とはいえ、お金がお金を生む「仕組み」を作ったものがいわゆる勝ち組になるという考え方は間違っていないだろうし、お金を稼ぐ事だけを目的にした労働が視野を狭くする、などという考え方も真実の一面を映し出しているように思える。

 

それはそうなのだが、そういったスマートな視点に立てる人間が、果たしてこういったお金の本にどれだけ真剣に向き合うだろうか、とも思う。

結局は商売だし、本を売る側は読者や現在のある特定のユーザのニーズに反応するものを意図して書いているに過ぎない。

「投資」を説明する本であれば投資信託の商品を紹介するだろうし、そういった安易な紹介本が廃れてきたら少し面白おかしくかつ実践的な少し濃い内容の本を執筆して儲けようとする。

 

しかし安易に儲けられる、と捉えがちな人たちはいつまで経っても「その本を読めば儲けられるかもしれない」といった思考から抜け出せないのではないだろうかと不安になる。

私個人の考えとしては銀行の営業マンなどから適当に話を聞いたりする方が、こういった本を繰り返し読むより現実のお金の流れを理解できると思う。

お金をどう運用するかということは、我々個人だけでなく銀行や大手企業でも同様の問題なのだから、その点でプロ意識を持ってリアルに活動している人たちから情報収集するほうが良い。

 

そして数十万程度の遊び資金で実際に株を買ったり投信を買ったりしてみることだ。

自分の金がかかっていれば真剣にニュースをみるようになり、そのうち何となくぼんやりとだが、経済や人間心理で上がる下がるということがどういうことなのかがわかってくる。

 

私が思うに「投資」とは、ある程度のまとまったお金と儲けに執着し過ぎない冷静さがある人であれば、案外簡単に「それなり」の生活を送れる程度には稼げるもの、と捉えている。

バブルかな?

日銀の追加緩和宣言であっという間に日経平均が暴騰した。

日本株に少しだけ手出してたからラッキーだったよ。

 

ラッキーだけど引き際を考えちゃうよね。

アベノミクスは背水の陣なんだろうけど、実体経済と虚構経済の隔たりが明らかになればちょっとしたことで大暴落するはず。

 

アベノミクスの大前提である2%のインフレ率という目標が目標である限りは大暴落はしないんだろうけど、こういうのって一瞬だと思うんだ。

 

ある程度はアンテナ立ててるけど、株式相場における「上値」と「底値」での売買って基本無理だから、ある程度怖いなーとか思ったら逃げるのが賢いし、スマートだと思う。

 

結局バブルになって周りが祭りに参加し始めた頃には引くことを考えなきゃいけない。世界中のお金って投機家のもつ資産割合が多いから、我々個人はあっという間にやられてしまう。初動のレスポンスに違いがありすぎる。

 

それでも今って1000万くらいありゃ何とか家賃分位は稼げる相場だと思う。

こういう時のために最低限の投資の「ノウハウ」って必要だと思うよね^^;

 

今から調べたって遅いし、十数年に一度というようなチャンスを手にできなかったら、チマチマ増えるか増えないかの投資しかできない時代を過ごす事になっちゃう。