アラサー脱ヒキ日記

メンタル薄弱日記。嫌いな社会化を目指す。

寒くなったね

自分の姿を容姿の面でも、言動の面でも多面的に観察する、ということは自意識を薄める効果があるなぁと思います。

 

自分の、人から見た姿形、印象といったものが実は自分でよくわかっておらず、それが自信過剰や不安に繋がる事が結果として多々あるのではないか。

 

その上でとらえどころのない謎というか、囚われの罠といったようなもの。完全な球面を求めようとするが、実のところ一部のシワによってバランスが取られている、といったようなこと。

 

そういうものに人生の大半を浪費するのはいかがなものだろうか。

少し違ったアプローチをするのならば、それは果たして人生をかけて浪費するに値する事柄であろうか、と思う。

 

真理の探求とか哲学といった分野に生涯を捧げるような人間であれば話は違ってくるのかもしれないが、そういった一方向性のものと現状は相反しているので、やっぱりそういうことに時間を使い続けるのは勿体無い。

 

で、現状というのは混乱なわけだけれども、それでも道筋は整えられてきている感じがする。ゴリ押しと周囲の理解があって次のシゴトに繋がって行くことになったが、当然自信なんてないし、よく思ってない人もいるだろうとか、ごちゃごちゃ考える。

 

掛け持ちしたいけどもう片方のバイトもまだ決まってない。

それは急がなくてもいいな、とは思うけど面接に行きまくる位しないとなぁ。

就活してる人も沢山いるし、みんなあれやこれや調べてきてるし本気で受かってやろうっていうオーラ?を感じる。

 

筆記やロールプレイング、沿革からポリシーまで割りと徹底した説明会に面接などをさらりとやってのける感じ。常時ピリついた感じ。もうイヤだけどね、みんな必死にやってるのは伝わってくるけど、こっちのなめた態度も伝わってるだろうな。

 

安定した職場で楽しくあれこれ余裕をもって考えられる人たちがいる一方で、四苦八苦しながら愚痴りながらも就活を繰り返し、努めてはこじれて辞めてを繰り返す人たちもいる。一体なにがそんなに違うっていうのかねぇ?

 

アイデンティティの揺らぎを抑えるのは居場所と安定だが、それは停滞と焦りでもあるからして、こう、もっと社会の中での自分というものにスポットしてその上でしっかりもう一度自己分析していく必要を感じてるよね。