アラサー脱ヒキ日記

メンタル薄弱日記。嫌いな社会化を目指す。

価値観の違い

人という同じ種でも、十人十色の感じ方があるものだなぁ。

超高度に発達した統合情報端末である「脳」が自分の外の端末である他者と上手く波長を合わせてコミュニケーションをとっているのだから驚く。

 

人間はコンピュータではないから思い込みや文化、宗教、環境などに根付く主観や価値観、ひいては偏見、認知バイアスなど、自分が「自己」だと思っている部分にこそ、ある場合に引き起こされる大きなズレの原因が潜む。

 

「自己」は経験を積み重ねたり、大きな感動体験をしたり、深い思索を繰り返す内に徐々に変化していく。人間の最大の面白味はこの可変性だ。

 

自己を変えたいからといって安易な自己啓発や、巧妙に隠された商業主義の罠に陥るといった事を賢く避けなければならない。

そもそも「自己」を維持、保持しようという防衛本能、防衛機制のようなものもまさに「自己」であるがための機能、本能であるからだ。

 

良いものがあるとすれば、それは体に良い食事くらいのもので、人のアドバイスほどいい加減なものはないのである。というよりかは、楽してどうにか自分を良くできるという考え方自体に大きな問題がある。

 

俺なんかはリスペクト(RE-SPECT)してしまうような人が現れたらよくアイデンティティが揺らぐのを感じる。下衆な生き方をしたいと思うこともあるし、拝金主義的な側面もある。でも一方で高尚な生き方に対するあこがれや、実際にカリスマ性をもった人物を目の当たりにした時の高揚感は代え難いのだ。

 

揺らぎ続ける自我。

自分を形作るというのは、死ぬ時まで完成なんてしないものなのだと割り切るべきなのだろうか。